
実家での慌ただしい正月を終え、鎌倉の自宅に戻ると、ようやく僕の新しい一年が静かに深呼吸を始める。使い慣れた鉄瓶から立ち上がる湯気を眺めながら、自分たちのリズムを取り戻していくこの時間が、何よりも愛おしい。
三が日の午後、お雑煮の余韻を楽しみながら、僕は妻に「散歩に行こうか」と声をかけた。子供たちが成人してから、家の中は驚くほど静かになった。かつての騒々しさが懐かしくもあり、凪のような今の夫婦の時間が贅沢にも感じられる。
向かったのは、まずは近所の八雲神社。鎌倉の正月といえば鶴岡八幡宮の喧騒が思い浮かぶが、僕たちはあえて、地元の人々に静かに愛されるこの小さな社を選ぶ。境内に漂うキリリと冷えた空気。柏手を打つ音が、高く澄んだ空に吸い込まれていく。
お参りの後、宮司さん手書きの「一言おみくじ」を引いた。妻の手元に届いたのは、朱色の紙に力強く書かれた、こんな言葉だった。

「歩きやすい靴ででかけよう」
最初は「何だこれ??」と戸惑った。色々話し合った結果、この一言は前段ではなく後段に主眼があるのではないかという結論に達した。つまり、履きなれた靴で守りに入れ、ということではない。もっと遠くへ、軽やかに、自分の足で世界を確かめにでかけよう。それは、背中を優しく押してくれるような、新しい年への誘いだった。
年齢を重ねると、僕らはつい「効率」や「失敗しないこと」ばかりを考えて、履き慣れた、冒険のない靴ばかりを選んでしまう。だが、このおみくじは、準備さえ整えれば、出掛けることで、まだまだ知らない景色に出会えるのだと教えてくれているようだ。
「今年は、少しアグレッシブに攻めてみないか」
僕の提案に、妻は少し驚いたような顔をしたが、すぐに「いいわね」と微笑んだ。
小町通りの奥底で出会う、哲学の香:身似虚無(みにこむ)
例年なら、レサンジュのような間違いのない、保守的なお気に入りを選ぶところだ。しかし、今日のおみくじに従うなら、少しだけ未知の扉を叩いてみたい。
激しい混雑を見せる小町通り。その喧騒をかき分けるようにして、僕は以前から気になっていた看板の前に足を止めた。
「身似虚無(みにこむ)」
「みにこむ」という、どこか親しみやすい響きを裏切るような、重厚でどこか求道的な漢字の連なり。ビルの階段をさがり、重い扉を開けると、そこには昭和という時代が、そのままの濃度で保存されたかのような空間が広がっていた。
店舗情報:大人のための隠れ家
-
店名:身似虚無(みにこむ)
-
住所:神奈川県鎌倉市小町1-5-10
-
営業時間:11:00〜18:00(訪れる際は確認をおすすめする)
-
抽出:サイフォン式
| カテゴリ | 印象と詳細 |
| 珈琲の哲学 | マスターが一杯ずつ、サイフォンで丁寧に淹れる。エチオピアの香りは格別。 |
| 調度品 | 重厚な木の椅子に敷かれた、座り心地の良い革のクッション。 |
| 雰囲気 | 昭和レトロの極み。間接照明が、壁に掛けられた花の絵を優しく浮かび上がらせる。 |
| ケーキ | チーズケーキとチョコレートケーキ。コーヒーの苦味を際立たせる、計算された甘さ。 |
店内は、驚くほど静かだった。外の小町通りの狂騒が、嘘のように遮断されている。
僕はエチオピアの豆を選び、妻はコロンビアを。そして、それぞれのコーヒーに寄り添うように、チーズケーキとチョコレートケーキを注文した。
カウンターの向こうで、理科の実験器具のようなサイフォンがコトコトと音を立てる。その音さえも、この空間の一部として溶け込んでいる。運ばれてきたエチオピアを一口含む。熱い液体が喉を通るたびに、豆本来のフルーティーな酸味と、深いコクが広がっていく。
「ここ、すごく落ち着くね」
妻がそう呟き、椅子に深く体を預けた。重厚な木の椅子には、使い込まれた革のチェアマットが敷かれている。適度な弾力があり、長く座っていても疲れない。
ただ古いものを並べているのではない。客の体が触れる部分に、こうした上質な配慮がなされていること。それが、この空間の居心地の良さを決定づけていた。長い年月をかけて店主によって「整えられ、手入れされてきた」気配が、空気を通じて伝わってくる。
「身似虚無」という屋号に宿るもの
コーヒーを啜りながら、僕は「身似虚無」という四文字について考えていた。
身に似て、虚しく、無である。
それは一見、すべてを投げ出したような、冷たい言葉にも聞こえる。しかし、この温かな空間に身を置いていると、別の解釈が浮かんできた。それは、「余計な自意識や、過剰な装飾を削ぎ落とした先に残る、真実の姿」ではないかということだ。
僕たちは日常の中で、自分をより良く見せようとしたり、何かを所有することで自分を定義しようとする。しかし、マスターが一杯のコーヒーに向き合う姿や、客が心地よく過ごせるよう整えられた革のクッションを見ていると、そこには「自分を空っぽにして、ただその瞬間の質を高める」という、ある種の誠実さが感じられる。
「歩きやすい靴ででかけよう」というおみくじの言葉と、この店。
根底では繋がっている気がした。しっかりと手入れされた足元(=準備)さえあれば、僕たちはどこまでも「空」の状態で、新しい世界を軽やかに受け入れることができるのだ。
昭和へのタイムトリップ。それは単なるノスタルジーではなく、現代が忘れかけている「手間」や「身体感覚」に対する敬意の再発見でもあった。
ブルーアワーに溶ける、本覚寺の灯火
店を出ると、外はちょうど「ブルーアワー」の真っ只中だった。
冬の空は、深い藍色へと沈み込み、街の灯りが宝石のように輝き始める。
島森書店で手に取った一冊の小説をバッグにしまい、ユニオンで日常の買い物を済ませる。その帰り道、僕たちは本覚寺の境内を通った。
そこで目にした光景に、毎年のことながら、僕は思わず息を呑んだ。

闇が濃くなり始めるブルーアワーの空を背景に、本覚寺の山門や石段を彩る無数の提灯に火が灯っていたのだ ****。朱色と白の提灯が放つ柔らかな光が、整然と、しかし圧倒的な熱量を持って浮かび上がっている。そのコントラストは、この世のものとは思えないほど美しく、幻想的だ。
「きれいね……」
妻の呟きが、静かな境内に溶けていく。
提灯には「えびす神」の文字や、奉納した人々の名が記されている ****。それらの灯火は、ただの照明ではない。ここを訪れる人々の歩みを優しく照らし、「今年も大丈夫だよ」と語りかけてくれているような、人々の祈りの集合体そのものだった。
提灯の温かい光に照らされた石畳を一歩ずつ踏みしめながら、僕は思う。
特別な冒険や、遠くへの旅だけが人生ではない。
こうして、「歩きやすい靴」を履き、愛する人と馴染みの街を歩き、偶然見つけた喫茶店で一杯のコーヒーに感動し、夕暮れの寺院に灯る光に心を動かされる。
そんな「日常を旅する」感性さえ失わなければ、僕たちの人生はいつまでも、豊かであり続けるはずだ。
ほんの二、三時間の散歩。
けれど、そこには一年の計を立てるに十分な、静かな知恵と平和が詰まっていた。
このブルーアワーのような美しい時間が、年末まで続きますように。
そして、来年の今頃もまた、同じ場所で、手入れの行き届いた「歩きやすい靴」で立っていられるように。
帰宅して扉を閉めたとき、冷え切った頬に残る冬の風の感触が、なぜかとても心地よかった。
【今日の一言】
歩きやすい靴は、あなたを遠くではなく、深みへと連れて行ってくれる。
【あなたへの質問】
あなたがいま、手入れを必要としている「人生の道具」は何ですか?
【あなたへのおすすめ】:
👇手で豆を挽くのは時間がかかるが、その時間こそが、自分を「無」にしてくれる。
👇昨年の漢字は熊。古くて新しい小説。
【関連記事】
👇コーヒーを味わう。
👇定番のイワタコーヒー
👇定番の小川軒。いや鎌倉ウィッチ。
【この記事の案内帖】
👇コーヒー・映画・食など、忙しさの中で心を整える時間の過ごし方を紹介します。

