海と山と街のあいだ|日常を旅する鎌倉暮らし

鎌倉の静けさと東京のリズム。そのあいだから見つける、暮らしの知恵

今さらDAZNに加入して見つめた、ワールドカップと「個と組織」の最適解

準々決勝のフランス対モロッコ、アルゼンチン対スイス、そして準決勝のアルゼンチン対フランス。
いよいよここからが面白いという段階になって、これらの好カードが地上波で放送されないという事実を知った。

少し悩んだ末、今さらながらDAZNの加入手続きを進めることにした。
普段からスポーツ観戦を熱心にする習慣はないし、プロ野球のナイター中継を毎晩追いかけるようなこともない。
それでも、ワールドカップや夏の甲子園といった「最高峰のトーナメント」が放つ特有の熱量には、どうしても惹きつけられてしまう自分がいる。

負ければそこで終わる、という残酷なまでの真剣勝負。
選手たちはもちろん、画面越しに声を枯らすサポーターたちの眼差しも真剣そのものだ。
私はおそらく、特定の誰かを応援したいというよりも、その「真剣さ」が極限まで高まった空間そのものを観たいのだと思う。

真逆の個性がぶつかり合う面白さ

画面の中で繰り広げられる世界最高峰の戦いは、単なる技術の品評会ではなく、それぞれの国が持つ文化や哲学の衝突でもあった。

アルゼンチンをはじめとする南米のサッカーには、良くも悪くも野性味がある。
現代の洗練されたコンプライアンス的な視点から見れば、少々「お行儀が良くない」と映る場面もあるかもしれない。
しかし、そこには理屈を超えてサポーターの血を沸き立たせる、剥き出しの感情と凄みがある。

対照的だったのはイングランドだ。
彼らのプレーにはフェア精神が根付いており、とりわけベリンガムのような優等生的なスター選手がチームを牽引する姿は、南米の熱狂とはまた違う、静かで力強い美しさがあった。

そして、スペイン。
19歳のヤマルをはじめとする若く瑞々しい力が、恐れを知らずに相手の守備をこじ開けていく。
その一方で、アンカーを務めるロドリのような熟練の選手が、盤石の安定感でチーム全体をコントロールする。
若さと経験、大胆さと慎重さ。そのバランスが見事に保たれた組織の姿は、見ていて惚れ惚れするものがあった。

ヒエラルキーが溶け合う瞬間の熱狂

生まれ育った環境、仕事の業界、あるいは職種。
私たちが生きる現実の社会には、目に見えないヒエラルキーが至るところに存在している。

スポーツの世界において、そうした絶対的な力関係が覆る瞬間、いわゆる「下克上」が起きると、人々は熱狂する。
持たざる者が持つ者を打ち負かすカタルシスは、たしかに痛快だ。

しかし、真に強いチーム、最後までピッチに立ち続けるチームを見ていると、対立構造からは何も生まれないことに気づかされる。
個の絶対的な力と、それを活かすための組織力。
異なる要素を対立させるのではなく、ヒエラルキーの壁を取り払い、ないまぜにして束ねたときにこそ、最強のパフォーマンスは発揮される。

スペインの絶妙なバランス力もそうだし、アルゼンチンがメッシという絶対的な「個」を中心に結束し、一つの巨大なうねりとなって相手を飲み込んでいく姿もまた、究極の組織の形なのだろう。

最後、アルゼンチンは敗れたが、試合後に見せたメッシの涙は、観衆の感情をさらに大きく揺さぶり、チームとサポーターの結束をより強固なものにしていた。
彼はバルセロナというスペインの土壌で育ち、世界最高の選手になった。
その事実を思うと、才能を育み、活かしきる「スペインという国の仕組みの凄み」のようなものに、静かな感嘆を覚えざるを得ない。

崇拝ではなく、仕組みを紐解く楽しみ

世の中には「推し」という言葉があり、特定の誰かを熱狂的に応援する文化が定着している。
しかし、正直なところ、私にはその感覚があまりよく分からない。
メッシを神のように崇拝する人たちの気持ちを頭で理解できても、自分がその熱狂の渦に飛び込むことはないだろう。

私の興味は、常に「なぜ」に向かっている。
なぜ、メッシはあんなにもボールを自在に操れるのか。
なぜ、スペインやフランス、イングランドの選手たちは、あれほどまでに精緻で美しいサッカーを展開できるのか。

そこには当然、恵まれた体格や長い脚といった身体的なアドバンテージもある。
だが、それ以上に、彼らが長い歴史の中で培ってきた圧倒的な技術と、それを機能させるための緻密な戦術のメカニズムがあるはずだ。
私は、その「仕組み」を紐解くことに、たまらない面白さを感じている。

相反するものが調和し、機能美としてピッチの上で躍動する。
その完璧に組み上げられたシステムが、人間の剥き出しの感情と交差してドラマを生む。

熱狂する群衆の声をスピーカーから聞きながら、私は自分なりの視点で、この静かな興奮を噛み締めていた。
対立を越え、個と組織が溶け合った先にある最適解。
それを見届けるためだけに支払ったDAZNの月額料金は、決して高い買い物ではなかったと、今は確信している。


【今日の一言】

才能は試合に勝つが、チームワークと知性は優勝をもたらす。
(マイケル・ジョーダン)

【あなたへの質問】

組織の中で「個の力」と「全体のバランス」が最も美しく機能していると感じたのは、どんな瞬間でしたか?

【あなたへのおすすめ】

www.dazn.com

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組織と個人の関係性や、日常の出来事から見出す「仕組み」の面白さについて綴っています。しなやかに生きるための視点のアーカイブです。
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せいたの作務衣と縁結びカード。出番の多い服と、窓を全開にする夏

夏の鎌倉は、日差しを遮るものが少ない通りを少し歩くだけで、じっとりと汗が滲んでくる。
家の中で快適にくつろぐための、風通しの良い新しい部屋着が欲しかった。
折しも、成人した息子二人は近々行われる花火大会に着ていく浴衣を欲しがっている。
それぞれに買い揃えるのも一つの手だが、ふと「作務衣」という選択肢が頭に浮かんだ。

作務衣(さむえ)とは、もともと禅宗の僧侶が「作務(さむ)」と呼ばれる日々の労働——掃除や薪割り、畑仕事など——を行う際に着る作業着のことだ。
体を締め付けないゆったりとした作りでありながら、袖口や足首を紐で縛れるようになっており、動きやすさと機能性を兼ね備えている。
最近では、その着心地の良さから部屋着や近所への外出着としても定着している。
部屋着としてリラックスでき、そのまま外へ出ても様になる。浴衣の代わりとしても悪くない。

手元には、以前手に入れた鎌倉市の「縁結びカード」が何枚かあった。
これは市内の加盟店で使える電子商品券のようなもので、地域のお店と住人をつなぐ、文字通り「縁を結ぶ」ためのカードだ。
これをうまく組み合わせれば、少し良い作務衣が手に入るのではないか。
そんな思いつきから、次男を連れて小町通りへ偵察に出かけることにした。

空間の違和感と、完璧な冷味

まずは小町通りの入り口付近にある、老舗の呉服店「せいた」へ向かう。
いつも通りを歩きながら「粋だなぁ」と眺めていたウィンドウを、今日は立ち止まってじっくりと覗き込む。
飾ってあったオリジナルデザインの作務衣に強く惹かれたが、値札を見ると4万5000円となかなかの額だった。
縁結びカードを3枚使ったとしても、3万円の手出しになる。
一方、次男が気に入ったのは、もう少しすっきりとした無地のシンプルな作務衣だった。
トンボの柄が入ったものなどもあったが、無地ならば2万7000円。カードを使えば1万2000円に収まる計算だ。
だいぶ現実的な数字だが、即決するには少し迷う気持ちもあり、妻を呼んで合流することにした。

待ち合わせ場所は、最近できた源吉兆庵のカフェ。
近くにある豊島屋のカフェ「置石」などもそうなのだが、最近新しく作られる空間は、どこか造りが簡易的というか、少し物足りなさを感じてしまうのが惜しい。
けれど、いざ運ばれてきた甘味を口にすると、そんな空間への小さな不満はあっさりと吹き飛んだ。
次男が頼んだマンゴーのかき氷は、山のようによそわれたフワフワの氷に、濃厚な果肉とシロップがたっぷりと乗って輝いている。

妻は深緑色が美しい抹茶金時のソフトクリームを、私はきりっと冷えたぜんざいを選んだ。
小豆のしっかりとした甘さと氷の冷たさが、夏の歩き疲れをスッと引かせていく。
結果的に、妻と次男が選んだメニューの方が一口もらって美味しく感じたのはご愛嬌である。
出される甘味の味は、どちらの店も文句なしにパーフェクトだった。

使い倒すための服選びと、小さな偶然

店を出て服選びを再開する前、フルーツ飴スタンドの「amenone」で桃の飴を買い食いした。
さっき冷たい甘味を食べたばかりなのに、桃が好きな妻はホクホク顔だ。
パリッとした薄い透明な飴のコーティングの奥に、瑞々しい桃の果肉が詰まっている。
桃そのものが美味しいのだから、飴になっても美味しいに決まっている。
ふと顔を上げると、飴を手渡してくれた店員がどうやら次男の同級生らしかった。
地元の街を歩く休日の、こういうささやかな偶然も悪くない。

桃の甘さを口に残したまま八幡宮を横切り、行きつけの鎌倉シャツへ向かう。
ここの作務衣は建長寺とコラボしている本格派だ。
しかし、実物を見てみるとあまりに本格的すぎて、次男が「イメージと違う」と言い出した。
生地も分厚くしっかりしており、まさに修行僧が着る服としての威厳がありすぎる。
薄手の生地のものはすでに売り切れていたこともあり、やはり「せいた」へと戻ることにした。

妻の客観的なチェックも経て、最終的に次男が気に入っていたシンプルな濃紺の作務衣を購入した。
我が家には、服も家電も家族で使い回すという暗黙のルールのような価値観がある。
私と成人した息子たちで服を共有し、頻繁に使うものは多少値が張っても十分にペイするという考え方だ。
皆で着回すことを考えれば、一番出番が多くなりそうなこの濃紺の一着が、我が家にとって最も理にかなった選択だった。

足首を縛り、朝の窓をあける

家に帰り、さっそく作務衣に袖を通してみる。
驚くほど楽な着心地なのに、不思議と気が引き締まる感覚があった。
かつて報国寺で朝の座禅を体験した際、お寺で借りた作務衣の記憶がふっと蘇る。

翌朝。いつもなら迷わずクーラーのスイッチを入れるところだが、全ての窓を全開にしてみた。
まだ熱を持たない朝の風が、部屋の中を通り抜けていく。
作務衣を着て、足首の紐をキュッと縛る。
この「ピシッと縛る」という身体的な所作が良い。
紐を結んだ瞬間、心と体が一気に目覚め、「さあ、動こう」というスイッチがカチッと入るのだ。

庭の掃き掃除から始まり、伸びた木の剪定、部屋のほうきがけ、さらには靴磨きまで。
次から次へと機敏に動き回りたくなるのは、さすが元々は僧の作業着として作られただけのことはある。
クーラーの効いた部屋でじっとしているよりも、自然の風を感じながら無心で手を動かす時間は、何より清々しく気持ちが良かった。

部屋着と浴衣の折衷案として探し始め、縁結びカードの使い道を考えていただけの休日。
けれど、結果的に手元に残ったのは、出番の多い上質な共有の服と、「窓を開けて掃除をしたくなる心地よい早朝の習慣」だった。
美味しいかき氷を食べ、桃の飴をかじり、同級生とすれ違い、家族でああだこうだと服を選ぶ。
そして翌朝には、清々しい風の中で無心に庭を掃いている。
こういう予期せぬ行動の変化や、休日の楽しい連鎖をもたらしてくれるのも、きっかけとなった縁結びカードがくれた「ご縁」なのかもしれない。
そう考えると、なかなかどうして、割と良いカードだなと思うのである。

【今日の一言】

足元を縛ることで、心はかえって自由になる。

【あなたへの質問】

普段の生活の中で、あなたの「動くスイッチ」を入れてくれる道具や服はありますか?

【あなたへのおすすめ】

せいたの作務衣
部屋着としての心地よさと、そのまま外へ出られる端正さを兼ね備えた一着。着込むほどに体に馴染み、日常の所作を少しだけ美しく整えてくれます。
https://seita.co.jp/

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暮らしを支え、日々の行動を少しだけ変えてくれる。そんな愛すべき道具や服との付き合い方を記録しています。
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休日の脱力映画館とネトフリ『This is I』。窮屈な時代を笑い飛ばす自分らしさ

7月に入り、鎌倉の海は早々に海開きを迎えた。
こうなると、日中のサーフィンはお預けになる。
加えて、梅雨特有の重たい湿気が空気を支配し、雨上がりの山道はひどくぬかるんでいる。
先日、横浜まで足を延ばして少しばかり歩き回ったこともあり、今日の休日は、家の中でとことんダラダラ過ごすことに決めた。

家が心地よいというのは、こういう時に本当に助かる。
出かけなければいけないという強迫観念を持たずとも、ただそこにいるだけで時間が穏やかに流れていく。
寝室のベッドに背中を預け、プロジェクターのスイッチを入れる。
天井にぼんやりと四角い光が浮かび上がる。
誰の目も気にせず、一番楽な姿勢で映像を眺める、私だけの「脱力映画館」の開館だ。

昭和の熱量と、和田先生のブレない芯

ただの暇つぶしのつもりで、Netflixオリジナルの『This is I』を再生した。
はるな愛の実話に基づいた作品である。
何の気なしに見始めたのだが、これが想像以上に引き込まれるものだった。

物語の全編を通じて、昭和という時代の匂いが色濃く漂っている。
画面から伝わってくる人々の活気や、どこか泥臭くも真っ直ぐな感情のぶつかり合いが、妙に懐かしく心地よい。
重くなりすぎそうなテーマの中で、時折ふいにはさまれるミュージカルシーンも、明るく突き抜けていて、作品全体のバランスを見事に保っていた。
主役の望月春希が、物語が進むにつれて内面から湧き出るように女性らしく、そして綺麗になっていく姿も印象的だった。

だが、この映画の中で最も私の心に深く刺さったのは、性転換手術を執刀した和田先生の言葉だった。
警察の取り調べという圧迫感のある状況下で、彼はこうつぶやく。

「医療はずっと昔から人間とともにある。だから国や警察に屈する訳にはいかない」

静かだが、圧倒的な信念を伴った一言だった。
ルールや権力よりも先にある、「人間の根源的な在り方」への深い敬意。
そのブレない芯の強さに、思わずハッとさせられた。

正しすぎる時代の息苦しさを、静観する

この和田先生の言葉は、翻って、現代という時代を生きる私たちに鋭いコントラストを突きつけてくる。

ふとスマホを開けば、SNSでは誰かが誰かを叩き、些細な発言が炎上している。
佐藤二朗や橋本愛の話題をSNSのネタにして世間が求める「正しさ」と、人間の本質的な感情との間に、どうしようもないズレを感じることがある。
仕事の場でも、何か少しでも摩擦が起きれば、すぐに都合よくコンプライアンスを盾にして権利の主張が始まる。
サッカーの試合ではVRとコンピュータがミリ単位の判定を下し、生成AIは人間以上の正解を瞬時に叩き出す。

もちろん、それらによって守られるものや、便利になる側面があるのは間違いない。
しかし、すべてにおいて「正解」や「潔白」を求められるコンプライアンス社会は、時にひどく窮屈で、息苦しい。

このガチガチの「世間体」や「常識」に対して、真正面から真面目に取り合っていたら、あっという間に心をすり減らし、健康を害してしまうだろう。
だからこそ、今の時代を健やかに生き抜くためには、あまり騒ぎ立てずに静観する視点が必要なのだと思う。
過剰な正しさに振り回されることなく、「まあ、そういう時代なのだろう」と一歩引いて眺め、時には笑い飛ばしてしまうくらいの図太さ。
それこそが、現代におけるひとつの生存戦略なのかもしれない。

My Revolutionが響く、素直な着地

映画のラスト、あの名曲が流れてきた。
渡辺美里の『My Revolution』。

youtu.be

「明日を変えること、夢を追いかけるなら、たやすく泣いちゃダメさ」

歌詞の一つひとつが、映画のストーリーと見事に重なり、昭和の熱量とともに胸の奥へと真っ直ぐに入ってきた。
何かを成し遂げようとするとき、自分らしくあろうとするとき、そこに痛みが伴うのは当然のことだ。
だからこそ、簡単に涙を見せずに前を向く強さが、この曲には宿っている。

映画が終わり、天井に映るエンドロールを眺めながら、自分の中に静かな納得感が広がっていくのを感じた。

世間体なんて、気にしなくていい。
常識の枠に、無理に自分を押し込める必要もない。
皆に好かれようとしなくていいし、失敗しないようにと怯える必要もないのだ。
ただ、好きにやればいい。自分らしくあればいい。

とてもシンプルなことだが、日々の忙しさや社会の空気の中で、つい見失いがちになる感覚。
それを、梅雨の湿気が漂う休日の寝室で、ひとつの映画と音楽が素直に思い出させてくれた。

天井の「脱力映画館」は、時に思いがけない特効薬になる。
明日からまた、少しだけ肩の力を抜いて、自分なりの歩幅でやっていけそうな気がしている。

【今日の一言】

正しさで息が詰まるなら、笑い飛ばす図太さを。

【あなたへの質問】

あなたは最近、世間の「正しさ」から少し距離を置き、自分らしく息を抜けた瞬間はありましたか?

【あなたへのおすすめ】

Anker Nebula Capsule 3
寝室の天井をあっという間に映画館に変えてくれる、手のひらサイズのプロジェクター。雨で身動きが取れない休日も、この小さな筒が一つあれば、極上の「脱力空間」へと早変わりする。家で過ごす時間の豊かさを、一段引き上げてくれる静かな相棒。

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何もしない贅沢や、ふとした瞬間に訪れる静かな気づき。流れる時間をただ味わうための記録です。
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